川瀬敏郎

昔は大根、水菜、蕪など、菜っぱの花はすべて「菜の花」でした。みなありふれた野菜の花ですから、書院をかざるたてはなにそれらをもちいた例はまずありません。モンペ姿で床の間にすわったら笑われる。ところが、その野暮をあえてやった連中がいます。侘茶湯の茶人たちです。 堺の茶人、津田宗久の茶会記には二度、菜種の花をいけた記録があります。利休もある茶会で、「あいにくよい花がなくて」とわびる亭主をさえぎり、庭に咲く瓜の花をみずから切っていけたといいます。あまりに身近で、だれも眼をとめなかった野菜の花を茶室の床の間にいける。桜、梅、椿といった名花とおなじ位置に、なんでもない、名もない花をひろいあげて据えた。それは花の歴史だけでなく、日本人の美意識そのものをかえた事件でした。